最近の記事
- 下関ふく供養祭無事終了!! (04/30)
- 本場下関のふく供養祭の開催迫る!! (04/21)
- 鯖の味噌煮に挑戦!! (04/19)
- やっと一息つきました!! (04/16)
- 久しぶりに孫と・・・ (04/11)
- いよいよ新年度スタート!! (04/02)
- 近代日本画の父・・・・ (03/04)
下関ふく供養祭無事終了!!
2012.04.30(16:58)
4月29日第73回下関ふく供養祭が下関市南風泊市場に於いて、下関ふく連盟主催で開催され、小生も参加致しました。下関ふく供養祭は昭和5(1930)年から始まったふぐの本場下関の晩春を彩る伝統行事です。
太平洋戦争が勃発した1941年から9年間、中断しましたが1951年に復活して今年で73回目となりました。

全国から多数のふく取扱関係業者が参列し、「ふく殿」の霊前で焼香、合掌し、来季の豊漁、航海安全、商売繁盛を祈願しました。
また、昨年の京都府に続き、今年の3月末の都議会で、東京都ふぐ条例が緩和され、本年10月から東京都に於いても消費者の居酒屋、中華、フランス料理店でも、ふく料理のメニューを加えることが出来るようになり、下関ブランドの磨きふくの販売も消費拡大に繋がると期待されています。
ふくを食べて福を呼び込みましょう。
また、今年はふく連盟がPR事業の一環として、「鯉のぼり」ではなく、「ふくのぼり」を製作し、ふく供養祭会場でお披露目されました。今後、ふくが青空に泳ぐ光景が広がり、下関の新たな名物になりますよ~に!!
また、供養祭終了後、懇親会会場に於いて、昨年、秋篠宮家など6宮家に贈った『宮家献上ふく菊盛』の実演を私の息子の会社『海』の調理師と今年献上した『畑水産』の調理師2名が下関伝統の菊盛りを披露。
薄く引いたふくを花が開いた菊の花のように・・何と7段盛り込み・・・素晴らしい技を堪能しました。



FC2BLOGランキングに参加中! 人気ブログランキングに参加中!!
今日も一押お願いします。 こちらも一押お願いします。


本場下関のふく供養祭の開催迫る!!
2012.04.21(15:11)
ふく取扱量日本一の下関で、4月29日第73回下関ふく供養祭が下関市彦島にある南風泊市場で開催されます。下関では「ふくは彼岸から彼岸まで」と言われ、昔は春の彼岸でふくはシーズンの終わりを迎えていました。
この供養祭には、全国からふく業界関係者が多数集まり、ふく殿の供養を行った後、船が関門海峡へ向けて出航し、来シーズンのふくの豊漁と安全操業を祈ってふくを放流します。小生も供養祭と懇親会に参加致します。
前日には業者親睦ゴルフコンペと前夜祭が開催されますが、急な予定が入って参加が出来ません。・・残念(*_*)
また、当日は娘夫婦の家の鍵の引き渡しがあるので、供養祭終了後に新しい家の出来栄えチェックに行きたいと思ってます。
5月の連休は娘達の引越しの手伝いになりそ~です。
なかなかゆっくり出来ませんね~(*_*)
FC2BLOGランキングに参加中! 人気ブログランキングに参加中!!
今日も一押お願いします。 こちらも一押お願いします。


鯖の味噌煮に挑戦!!
2012.04.19(18:44)
先般、某取引先から鯖の味噌煮を作って欲しいとの依頼を受けていたのですが、毎日バタバタしてサンプルを作ることが出来ませんでしたが、今日は気合を入れて・・・・
まず、鯖の切り身を熱湯に通して、霜降りにし、冷水に取って、酒・味醂・濃口醤油・砂糖&生姜、そして鯖の切り身を鍋に入れ、強火で煮込み・・アク取りして、さらにコトコトと中火で煮込み、仕上げに我社の味噌(特上白味噌・中味噌・上麦味噌)を入れて弱火で更に煮込んでみました。出来上がりは上々・・でも、まだまだ納得いかなかったのですが、たまたま、サンプルが出来上がった時に銀行の得意先係が来社・・試食してもらうと・・・美味しいで~すって!!
外交辞令かも(*_*)
レシピは大体完成したので、今度の休みに再度チャレンジして、今日のサンプルは夜の酒の肴に直行しま~す。
さぁ~今夜は早めに帰宅してグィ~と一杯
楽しみで~す。(^^)vFC2BLOGランキングに参加中! 人気ブログランキングに参加中!!
今日も一押お願いします。 こちらも一押お願いします。


やっと一息つきました!!
2012.04.16(19:04)
2月の近畿〇〇頒布会3月の中国・北陸〇〇頒布会4月の九州〇〇頒布会と、出荷に追われ・・やっと完了して、ホッと一息つきました。原料の入荷が遅れたり、連続真空機の故障など、今回はトラブルも重なって予定が大幅に遅れ、土日祭日無しの状態が続いて心身ともに疲れました。
先週末に無事発送を完了して、昨日は久しぶりにゴルフコンペに参加・・・天気も良く、最高の気分転換が出来ました。
1月22日にクラブを握ってから約3か月・・練習無しのぶっつけ本番のコンペでした。朝7時に友人を迎えに行き、8時半スタート・・厚狭ゴルフ倶楽部でのコンペは何年ぶりかな~(*^^)v
スタートからOBで、あぁ~体が回らない(*_*)ショック!!
結局ハーフで3度のOB・・午後のスタートもOB・・上がってみたらOUT51・IN49 でした。あぁ~100が切れなかった。
でも、本当に久しぶりのゴルフで、気分は最高でした。
仕事に追われ、バタバタしてストレスが溜まっていたのも解消して、新たな気持ちで頑張りたいと思います。
ゴルフも少しは練習しなければ・・・・(*^^)v
FC2BLOGランキングに参加中! 人気ブログランキングに参加中!!
今日も一押お願いします。 こちらも一押お願いします。


久しぶりに孫と・・・
2012.04.11(13:51)
2月から〇〇頒布会の商品製造に追われ、毎日夜中まで残業が続き、やっと2月3月と出荷が続き、4月の出荷分の製品完成の目鼻が付き・・・ホッと一息つきました。桜が満開の8日の日曜日も仕事をしていたら、久しぶりに娘家族と孫が陣中見舞いに来てくれました。
仕事の手を少し休め、近所の公園に・・・なんと孫がヨチヨチ歩きが出来るようになっていました。(*^^)v孫の誕生日(2月28日)以来、ズ~と忙しく孫と遊ぶ時間も取れずじまいだったので、1か月チョットでこんなに成長するとは・・・びっくり!!
天気は良かったのですが風が強く、風に向かって一所懸命立っている姿に感動!!
少し落ち着いたら孫を連れて遊ぶぞ~・・爺馬鹿チャンリンで~す。
さぁ~明日、明後日の出荷準備に頑張りま~す。
FC2BLOGランキングに参加中! 人気ブログランキングに参加中!!
今日も一押お願いします。 こちらも一押お願いします。


いよいよ新年度スタート!!
2012.04.02(22:34)
いよいよ新年度がスタート!!〇〇頒布会の納品が続き、今年に入ってから原料確保に苦戦し、4月の納品分の商品がまだ、あぁ~完成していない。(*_*)
そんなこんなで、毎日残業に明け暮れて・・・・
昨日の日曜日も従業員さんに無理を言って出勤してもらい、製造に邁進!!ところが連続真空機がストを起こし、モーターが過熱・・・冷やしながらの騙し、騙し使用。
メーカーから新しいモーターが到着するのが月曜日の昼からとのこと(*_*)
今日も朝から労わりながらの作業続行中で~す。
私は昨日は看護学院と姉妹校の大学で祝辞を述べる為、入学式の梯子をし、帰宅後から作業の応援と、慌ただしい新年度スタートを切りました。
夜は久しぶりに早帰りし、何か月ぶりに好きなジャズを聴きました。
最近ジャズが見直され、また、由紀さおりさんが、米国のジャズ・オーケストラ『ピンク・マルティーニ』と組んでアメリカで話題を呼んでいますが、これはジャズの癒し効果と由紀さんの透明感あふれるウィスパーボイスがうまくハマったからだそ~で、外国でも、紛争があったり地震や大洪水などの天災が起きたりしていますから、ジャズを聴いて癒されたいと思っている人が増えていることを示すひとつの現象ではないかと、言われています。
下関生まれの日本最初のジャズシンガーと言われている二村定一を思い出しました。
また、以前、彼の孫娘さんが会議所に勤務されて、彼女もジャズを歌っていたのを思い出しました。
二村定一は1900年下関市中之町に生まれ、浅草オペラを経て、大正14年日本最初のジャズソング「テルミー」など4曲を吹き込み、日本ジャズシンガー第一号となりました。以後、「あお空」「アラビヤの唄」などがヒットし、また、「君恋し」も吹き込み、大ヒットで、日本男性流行歌手第一号とも言える存在になりました。
後に、榎本健一と劇団を結成し、浅草レビューの黄金時代を築きましたが、昭和23年48歳で亡くなりました。
今夜も残業・・・終わってから、お酒を少し飲みながらジョン・コルトレーンのアルバム『ザ・ジェントルサイド・オブ・ジョン・コルトレーン』でも聴こうかな!!(*^^)v
FC2BLOGランキングに参加中! 人気ブログランキングに参加中!!
今日も一押お願いします。 こちらも一押お願いします。


近代日本画の父・・・・
2012.03.04(20:38)
今日は下関が輩出した有名な画家をご紹介します。近代日本画の父・・・狩野芳崖は下関市長府の出身です。
狩野芳崖(かのほうがい・1828-1888)は、長府藩5万石の御用絵師狩野晴皐(かのうせいこう)の長男として長府印内に生まれました。
長府狩野家は狩野本家から狩野の姓を許された家柄で、代々画を業としていました。
芳崖は幼少の頃から父に就いて画技を学ぶ。15歳ころに元服して「延信」と名乗り、号も「松隣」から「皐隣」に改めるが、このころ描かれた作品には、すでに大器の片鱗がうかがえ、19歳の時、父とは別に藩から給禄を与えられ、この年、江戸遊学も許され、木挽町狩野家の画塾に入門しました。
木挽町狩野家には、曾祖父察信や父晴皐も就学したが、芳崖の時代の当主は勝川院雅信でした。
勝川院画塾での修業を通常の門弟よりはるかに早く終えた芳崖は、「勝海」の国号と「雅道」の名を与えられ、郷里長府で本格的に絵師として活動した。
その後も芳崖は、長い狩野派の伝統の中から生まれた名作に加え古画の研究も行い、次第に雪舟・雪村の画風に傾倒して自己の画風確立をめざす。
「芳崖」の号は、狩野派の法外にでる決意で音を通じさせ名乗るようになったと伝えられる。
その後、幕末の動乱や明治維新後の社会的混乱によって、困窮生活を余儀なくされ、経済的苦難を打開するため明治10年に上京しますが、東京でも事態は変わらず、輸出用陶器の下絵描きなどで生計を立て、しばらく不遇の時代は続きました。明治12年に、「犬追物図」制作のため、島津家に月給30円で3年間雇用されてやっと生活の安定を見、芳崖が世に認められるのは、明治16年アメリカ人教師アーネスト・フェノロサに出会ってからで、日本の再生をめざすフェノロサは東洋画の伝統を継承する芳崖の中に、日本画革新者としての資質を見出し、芳崖を経済的・精神的に支援しました。
芳崖は、フェノロサの西洋合理主義精神に裏付けられた絵画理論を研究し、日本画研究団体・鑑画会に「仁王捉鬼図」など、次々と実験的作品を発表しました。
同時に、新時代を担う人材の育成を託され、東京美術学校の開校準備に携わり、いよいよ芳崖の時代が始まろうとした時、絶筆「悲母観音図」を残して永眠した。
下関市長府の覚苑寺(安養寺町)に狩野芳崖の銅像があります。
名所・旧跡が多く集まる長府は下関の観光のメッカです。
一度『おいでませ!!』
FC2BLOGランキングに参加中! 人気ブログランキングに参加中!!
今日も一押お願いします。 こちらも一押お願いします。


